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概要

takeo-jc

一般社団法人武雄青年会議所創立50周年記念誌中に三島庄一さん(三島設計事務所)が居て(福岡JCメンバー)懇談会に、僕と中島研二、田代希一が居た。三島さんが「数年前に武雄に青年会議所があったと記憶しているが、今はどうしているのか」と、僕に質問したから「自然消滅し現在はありません」と答えた。「それはよくない。どこのまちでも青年が中核になって町づくりをしている。新しい町づくりは青年の力なくしてはとても成功はしない。青年会議所を再建しましょう」と言った。それから私のJC再活動の火がついた。まず自分の意見に賛成するものを5人集めた。この指止まれである。佐賀青年会議所も熱心に支援してくれた。最低30人は集め、1年のうちには創立総会をやるように今から準備しなきゃいかんと。そりゃ死にもの狂いでやったよ。日本青年会議所にも行った。それから各地の青年会議所の例会にオブザーバーで行って顔を売ってね。長崎、佐世保とか。僕が30歳、ちょうど青年会議所では真ん中。上10歳下10歳の連中を集めて、最終的には50人今ぐらいのメンバーが集まった。商工会議所も協力してくれた。商工会議所の経営指導員も色々事務的なことをやってくれた。青年会議所ができる前夜はそういう状況だったね。元の青年会議所がなくなって、その後、武雄に僕がいなかったら今の青年会議所はなかった。唯一、自分の人生で自慢できる事は武雄に青年会議所をつくったって事に自負している。これは私利私欲でやってない。だから青年会議所っていうものに対する思い出は、僕は世の中の誰よりも強い。今、80になっても青年会議所の事は気になっている。永遠です。武雄JCを起ち上げた時の気持ち清水僕で始まったけどやっぱり青年会議所の顔になる理事長は、その地域で優良企業でないとダメ。清本鉄工に頼みに行った。そしたらNO.3の高屋氏を紹介してくれた。高屋さんと一緒に飯食ったりして、初代の理事長を頼んだ。これで顔はできたなと。口八丁手八丁。初代にぴったりの人物。2年目も高屋さん。1年目は1ヶ月だけです。11月に認証だから、1月から2年目になるからね。日本青年会議所会員資格審査委員会があった。その委員に佐賀青年会議所のメンバーが出ていた。そのメンバーが全部書類持って来いと。その代わり、年内はあと1回しか審査会はない!これが通らないと来年になるという19